2016年08月08日に行われました。国土交通政務官交代式での挨拶の様子です。政務官退任にあたっての私の率直な気持ちを名残惜しくも最後まで元気に語らせていただきました。
宮内ひでき
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国土交通大臣政務官を終えて!
昨年10月から約10ヶ月間、国土交通大臣政務官という役職を務めさせて頂きました。
政府という立場での政治家としての経験は、私にとっては緊張感溢れる毎日の繰り返しであり新鮮で本当に有意義なものでありました。
大臣政務官という役職は、大臣、副大臣のサポート役でありますので、大臣に代わっての海外出張を始め、国会での答弁や記者懇談会なども行います。まさに責任ある立場で失敗や失言の許されないものでありました。
また、組織の一員として担当部局との政策議論や取りまとめを行う中で、総合的に調整するような仕事も多くさせて頂きました。そこで中でも記憶に残る仕事のいくつかを振り返ってみたいと思います。
政務官就任時
政務官会議
国の代表として外交デビュー
まずは、カザフスタン、ベトナム・カンボジア、中国と3回の海外出張を行いました。
主な目的は海外へのインフラの売り込みと中国では、日・中・韓の物流大臣会合でありました。安倍総理の指示の下、日本のインフラ技術は世界最先端であるにも拘らず、価格が高いことや売り込みに戦略性が足りなかったという反省を踏まえて官民上げてしっかり取り組もうという一連の大きな流れの中でのフォローアップ外交であります。
行った先で行う相手国の大臣や副大臣とのバイ会談は私にとっては初めての経験であり、会談が始まると事務方の準備を超えて話が進展しお互いの友好関係が深まるとともに、新しい約束に至るようなことまであるなど大変緊張感溢れるものでありました。
カザフスタン出張にて
ベトナム ドン副大臣とのバイ会談
日中韓物流大臣会合にて
政府側の立場としての答弁で感じた責任の重さ
また、国会の委員会において政府側答弁も数多く致しました。
質問者からの内容が出てくるのは遅い時には前日の深夜になることも多く、当日の朝7:00頃から答弁のためのレクチャーを受けることもしばしばです。
答弁内容については事前に役人が用意したものがありますが、質問者の中には事前の質問内容通りでない意地悪なものや、当日急に出てくるものまであり、そこはその場での真剣勝負になります。まさに“責任ある立場とはどういうものか”ということを国会という現場において痛感させられた経験となりました。
国会での答弁
心に痛烈に刻まれた熊本地震での経験
それから忘れられないのは4月14日発生しました熊本地震であります。
政府としてのやるべき役割を瞬時に検討し判断し、そしてそれを組織力を発揮して解決に当たり、結果を出すという失敗出来ない作業に参画したことはこの10ヶ月の中で最も貴重なものでありました。
まさに「災害は忘れたころにやってくる」「災害はいつも想定外」とは言ったもので、それを踏まえての社会インフラの重要性や、事前の準備としての防災計画や防災協定の必要性を認識させられました。特に今回の地震が九州で起きたということもあり、地震後、毎週末は九州地整に赴き本省との連携もさせて頂く中で、国交省内における災害対応をしっかり勉強させてもらいました。
熊本地震九地整対策本部にて
熊本地震被災地視察
政治家としての覚悟が一層強まった政務官経験
これらの他にももっともっと貴重な経験や多くの視察をさせて頂きましたが、そこで私が痛切に感じたことは、与党の政治家はその言動においても国の運営に直接影響を与えることのある責任ある立場であるということであります。
まさに一層の覚悟を持って仕事をやらなければならないという自覚を再確認したことであります。そしてその上で大事なことは、そもそも国会から大臣他政務三役が役所に来てマネージメントを行う日本の議員内閣制においては議員と政府との関係において、表裏一体の部分と極めて緊張関係を持って刺激しあう部分がバランスよく重なり合うことが重要だということであります。
官僚の持っている高度な専門性と常に国民と直接触れ合い、正確な国民目線を持った政治家が共同作業でつくるのが法律であると思います。両者が慣れ合いにならずにお互いが緊張感を持ちながら丁々発止しながら国民のため、国家の将来のためにすすめていくのが政策であり、政治であると深く感じたこの10ヶ月でありました。大変忙しく、緊張の多い、私の政治活動にとって本当に勉強になった充実した国土交通大臣政務官でありました。
第6回日中韓物流大臣会合に出席
7月27日から3日間、石井国土交通大臣の代理として、第6回日中韓物流大臣会合に出席するため、中国の杭州と上海を訪れて参りました。
集合写真
インターコンチネンタル 抗州
3ヵ国連携の世界的物流戦略を議論
10年前から始まったこの大臣会合は、3カ国が連携してスムーズで効率的な物流環境をつくり出すことによって、それぞれの国の利便性が向上すると同時に世界の物流の30%を占める北東アジアの世界戦略にも資するようお互い努力しようと話し合いを重ねてきたものであります。
そして、今回の会議の共通認識として合意したことは、
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① 3国間の物流のシームレス化を進めることによって各国間の貿易障壁をなくし現場におけるスムーズな物流環境をつくり出す。
② 環境にやさしい物流政策をすすめる。
③ NEAL-NETを活用することによる情報の共有化をすすめ、多くの港を情報ネットワークで繋ぐことにより、この地域の物流機能の強化を図る。※1
であります。
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※1:ニールネット・・・インターネットを通じて日中韓の海上コンテナ関連情報をリアルタイムで把握できる物流情報共有システム。
主に上記の項目を具体的な施策を連携して講じてゆくことを確認し、サインをし、共同署名を行いました。
共同署名
私にとりましては初めての大臣会合という事もあり少々は緊張もしましたが、日本の国益のためという信念で発言させて頂き、中国・韓国の2人の大臣とも親しく人間関係を築くことが出来たと思います。貴重な経験でありましたが、今後は事務方の継続した努力を、しっかりやってもらい実質的な効果をあげてもらいたいと考えております。
上海で体感した中国の圧倒的パワーと潜在力
また3日目は、杭州から上海まで高速鉄道に乗り移動し、上海の新都心の中心に日本の森ビルが建設した約500mの高層ビル「上海環球金融中心」を見学し、午後には世界最大規模の上海港も視察してきました。いずれもそのスケールの大きさに度肝を抜かれてしまいました。
上海環球金融中心(左・492m)と上海中心(右・632m)
上海環球金融中心展望台
上海洋山港
想像を絶する規模と莫大な人口に改めてこの国のパワーを痛感し、今後益々中国との戦略的な付き合いの重要性を考えさせられました。
特に経済という観点からは、我が国の貿易相手国としても2番目であり、訪日中国人の著しい急増や、上海だけでも邦人企業は1万社を超えるという現実に対し、もっともっと中国という市場については可能性を追求してゆかなければいけないのではないかと思いました。
現在、日本人の対中国に対する感情は決して良いものではなく、むしろ違和感は増していると思います。特に中国政府の身勝手な言動に対しては腹立たしく思うことは多々あります。一方で、一般の中国人の日本に対する感情は近年特に良好で、日本に訪日した人々のほとんどは日本が好きになり、もう一度日本に行きたいと言っています。
まさに国民レベルでお互いの国の現実を確認し合うことによって、もっともっと友好関係が深まり、日本にとっても中国とのビジネスの為の人間関係のネットワークの更なる構築等、我が国の利益をもっともっと見出せるチャンスがまだまだあるのではないかと思います。
変わりゆく中国を見つめる冷静な視点と正確な現状把握の必要性
今回の訪中の中で、中国国内でも世界のスタンダードに合わせようとする努力や、粛清による社会の公正化への取組の効果を垣間見ることがありました。
リアル中国、まさに現在の現実の中国を正確に冷静に把握することを我々はもう少し強く意識して考えてゆかないといけないのではないか。「舐めていては足元をすくわれるぞ」という危機感を率直に感じたわけであります。
例えば高速鉄道のホームでは、整然と2列で並んで待っており、降りた人を待って乗り込むような光景はもう普通でありますし、街にはボランティアグループがG20の準備を共同でやっている姿もあちこちにありました。
杭州東駅ホーム
もっとも、これらのことで中国全体が健全に変化していると言うつもりはありませんが、その方向性、つまり世界標準の価値観を追求しようとしているようには思ったわけであります。そういう意味においては、今回の視察は私にとっては強い刺激となりました。これからも隣国へはたびたび訪れ、正しい時代認識が出来るように努力する必要性を感じた有意義なものでありました。
国交政務官として熊本県へ
5月4日、山本副大臣、江島政務官とともに、JR博多駅から新幹線でJR熊本駅に入り、その後阿蘇へ国道57号線を陸路で進み、土砂災害現場へ直接足を運んで現地視察をして参りました。
片側2車線の国道57号線が真ん中から崩れ落ち、分断された道路は、国道325号線との分岐点となっていたところで丁度そこで土砂崩れが起きたため、阿蘇大橋も崩壊してしまったということです。悲惨な状況を肌で強く感じるとともに、早期の復旧・復興を二次災害が無いよう取り組むべき覚悟を致しました。
阿蘇大橋地区の土砂崩れの現場
その後、西原村では、被災された多くの方々が避難生活を津続けられている中学校の体育館、仮設住宅建設予定地を訪ねさせて頂きました。
西原村の避難所では高知県の皆さんが炊きだし支援。
西原村の仮設住宅建設予定地で日置村長からお話を伺う。
また、被害が大きかった益城町の家屋の崩壊の様には息を飲む思いでありました。
益城町役場周辺は活断層直下であり、大変な被害。
最後に、天守閣や石垣が大きく崩壊した熊本城を訪問しました。熊本のシンボルである熊本城の変わり果てた姿に私も大きなショックを受けました。
熊本城の被害状況
そして本日5月17日、熊本地震からの復旧・復興を推進するために大変重要な補正予算が、国会において全会一致で成立いたしました。今後、被災地の実態をしっかり把握し、被災者の気持ちにより添いながら、「出来ることは何でもやる」という安倍総理の方針の下、一日も早い復旧・復興に全力で取り組んで参ります。
国交政務官として被災地へ(宮城県)
復旧の進む3つのまちを視察
3月25日に宮城県の石巻市、南三陸町、気仙沼市を訪問し、東日本大震災からの復興・復旧の状況を視察してまいりました。
石巻市では、津波浸水被害の恐れのない地域に新たに整備した住宅団地(新蛇田地区)の状況について、亀山市長から説明を受けました。
新しい個人住宅や災害公営住宅が建設され市民の移住が進むとともに、JR仙石線の石巻あゆみ野駅(新駅)が開業するなど、新しい町が順調に出来上がっていっているようでした。一方で、海に近い中心市街地の活性化や、隣県山形県との連携に必要不可欠な道路の整備など、震災を克服した新しい地域の創生ための様々な要請もいただきました。
亀山石巻市長から新しい街づくりについてお話を伺いました
南三陸町では、津波で壊滅的被害を受けた市街地を安全な居住地とするためのかさ上げ工事の様子(いわゆる高台移転)や、JR気仙沼線をBRT(バス高速輸送システム)で復旧している様子を視察しました。
佐藤町長からは、生まれ育った町がかさ上げにより様変わりしてしまうのは寂しいけれども、なんとしてもこの町を安全に再興させるという強い決意をうかがうことがきでました。
佐藤南三陸町長から高台移転事業についてお話を伺いました
お昼ご飯に、アワビがふんだんにのった豪勢な海鮮丼をいただいた後、大きく議論になった気仙沼市の中島海岸における防潮堤事業を視察しました。
地域住民との対話を丁寧に行いつつの防災環境工事
津波から人命を守るためには適切な規模の防潮堤の整備が必要不可欠ですが、環境や景観などについて、地元意見も十分に踏まえることが重要です。
現場では、宮城県の責任者から、地元と丁寧に合意形成を図っているというお話を伺いました。この防潮堤が住民の安全・安心を守るとともに、住民に愛される存在となることを切に願います。
中島海岸の防潮堤事業を視察しました
地域に合った対策の必要性を確認
このように、被災地の状況は地域によって様々ですので、地域の状況をきめ細かく把握し、その地域にあった対策を機動的に講じていくことが必要であると感じました。
「実感できる復興」に向けて、全力で取り組んでまいります。
Movie随時更新 ミヤウチューブ
NetIB-NEWSより2023年の年頭にインタビューを受けました。
私の今年の抱負を中心にお答えしました。
今年もより一層福岡4区の発展に力を尽くしてまいります。ご覧ください。