宮内ひでき
- 職業
- 国会議員
- 所属
- 衆議院
- 選出
- 福岡県
プロフィール
宮内ひでき
国会
- 経済産業委員会 理事
- 文部科学委員会 委員
- 沖縄・北方問題に関する特別委員会 委員
自由民主党
- 経済産業部会 部会長
- ITS推進・道路調査会 事務局長
- ITS推進・道路調査会 無電柱化小員会 事務局長
- スポーツ立国調査会 幹事長
- スポーツ立国調査会 地域スポーツPT 座長
- 観光立国調査会 事務局長
- 地方創生実行統合本部 筆頭副幹事長
- 臨時交付金ワーキングチーム(地方創生実行統合本部) 事務局長
- インフラシステム輸出総合戦略特委 事務局長
- 基幹インフラ輸出小委(インフラシステム輸出総合戦略特委) 事務局長
- 国土強靭化推進本部 国土強靭化の着実な推進に関するPT 事務局長
- 外国人労働者等特別委員会 副委員長
- 住宅土地・都市政策調査会 都市政策小委員会 副委員長
- 国土強靭化推進本部 事務局長代理
- 海運・造船対策特別委員会 事務局長代理
- 物流調査会 事務局長代理
- 下水道・浄化槽対策特別委員会 事務局長代理
- 航空政策特別委員会 事務局次長
- 科学技術・イノベーション戦略調査会 基本問題小委 副委員長
議連
- スポーツ議員連盟 事務局長
- みなと版「道の駅」議員連盟 会長
- 港湾議員連盟 事務局次長
- トラック議員連盟 事務局次長
- 超党派 日本語教育推進議連 事務局長代理
- 環境事業高度化議員連盟 事務局長
- 国民の健康を考えるハームリダクション議員連盟 事務局長
- ジョギング・マラソン議連 事務局長
- 落語を楽しみ、学ぶ国会議員の会(落語議連)事務局長
- クルーズ船観光振興議連 幹事長
- ソフトパワーによる日本再生!!特命委員会 事務局長
- 鉄道・バス議員連盟 事務局次長
- 日越大学推進議員懇話会 事務局長
- GX実行本部 事務局次長
- 児童の養護と未来を考える議員連盟 事務局長
- 海事立国推進議員連盟 事務局次長
- 海事立国推進議員連盟 内航部会フェリーの振興を考える小委員会 小委員長代理
- 日本パナマ友好議連 事務局次長
- スポーツ・健康産業推進議連 事務局次長
- 世界遺産議連 事務局次長
- IT社会推進政治連盟(IT政治連盟)事務局次長
- ライブエンタメ議連 事務局次長
- 超党派「無電柱化法案早期成立促進議員連盟」 事務局長
- 超党派「チケット高額転売問題対策議連」 事務局長
- スポーツ振興くじ(TOTO)制度改正PT 事務局長
- スポーツレガシーPT 事務局長
- スポーツレガシーPT スポーツ振興くじ検討チーム 事務局長
- スポーツインテグリティの体制整備の在り方検討PT 事務局次長
- 自民党サマータイム導入に関する研究会 事務局長
- オリパラ議連 休日化関連課題検討PT 事務局長
- 再生可能エネルギー普及拡大委員会
- 九州エリアタスクフォース 事務局長
- 与党無電柱化議員連盟 事務局次長
1962年10月19日 出生
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愛媛県松山市にて生まれる
松山市役所勤務の父と、専業主婦の母の長男として誕生。
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岡田小学校卒業
小学校6年生の時。放送委員会の毎日の放送当番が楽しみでした。
野球に賭けた青春。
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愛媛大学附属中学校卒業
中学、高校は野球に熱中しました。
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松山東高等学校卒業
伝統ある松山東高校野球部で甲子園を目指しました。
2年生の県大会では、レギュラーとしてサードを守るも準々決勝で痛恨 のエラー。
宮内のこのエラーによって、相手に決勝点を与えた松山東の甲子園出場は絶望的となり、下級生宮内は頑張ってきた3年生たちに合わせる顔がありませんでした。
その後も引き続き野球に熱中しましたが、甲子園出場の夢は叶わないまま、高校卒業。「男は東京で勝負!」と、東京の大学を目指し、強い思いで受験勉強に励みました。
バットを扇子に持ち替えた大学時代。
アメリカで芽生えた政治への想い。
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青山学院大学入学
大学では慶応の野球部に憧れを抱いていましたが、受験に失敗。現実には青山学院大学経営学部に入学。
なぜか落語研究会に入部し、以後、落研の活動(老人 ホーム慰問など)に没頭しました。
3年生では第23代会長に選出。芸名は音亭狂雀(おんてい・きょうじゃく)、得意ネタは「阿弥陀池」など。
(シブすぎたかな?)
経済学部・経済原論ゼミに所属しました。
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アメリカへ放浪の旅
大学4年時には卒業後の進路に大いに悩み、大学のゼミの教授にお願いし卒論を受け取らなかったことにしてもらい、留年。
アメリカ大陸一周の旅に出ました。 JFK空港に降り立つと We Are The World が流れていました。ちょうど、その時分でした。
アメリカ放浪中には、たまたま開催されていた大相撲のイベントで手伝いをさせてもらったり、アメリカン・ジャパニーズ・チャーチで落語をやったり、いろい ろな人と出会いながらグレイハウンド・バスでアメリカの主要都市を点々と横断・縦断した3ヶ月間を過ごしました。
「国家における政治の役割の大きさ」ということについて、初めて強い思いを抱いたのがこの旅の最中でした。これからは、政治の勉強をしようと胸に誓い、 LAXから帰国の途につきました。
23歳、永田町デビュー。
以後25年間、政治の現場一筋に。
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塩崎潤先生の書生となる
1985年、愛媛県選出の国会議員・元総務庁長官 塩崎潤先生の門を叩き、秘書として永田町に職を得ました。
1985年秋からは、塩崎潤先生の私邸に住み込んでの、いわゆる書生として、代議士秘書の生活をスタート。
朝7時半には、一緒に私邸を出発。一日中代議士にぴったり寄り添い、夜には番記者の来訪を受け、自室に下がるのが23時くらいという、「寝ても覚めても政治」という毎日を5年間送りました。
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塩崎恭久衆議院議員秘書
塩崎先生の長男で元官房長官の塩崎恭久先生の第一秘書
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渡辺具能衆議院議員政策秘書
福岡4区選出の元国土交通副大臣 渡辺具能先生の政策秘書
代議士秘書として約25年間、将来の政治家を目指し、まさに生の政治を日々間近に見て、国政選挙を事務所の秘書として10回経験するなかで、政治とは何か、政治はどうあるべきかをじっくりと学んできました。
政治家への転身を決意
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自民党衆議院福岡4区支部長
2011年12月20日 自民党福岡県連幹事長より、「自民党福岡県連、あなたを福岡4区支部長として党本部に推薦します。」との電話をもらった瞬間、政治家としてのステージがスタートしました。
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衆議院議員
2012年 12月の衆議院選挙に当選。
長き秘書時代に培った「経験」と「備え」を存分に発揮し「即戦力」となることを誓い、国政に携わることとなりました。
現在
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即戦力議員として
秘書時代はここ福岡4区の地域の抱える諸問題にも取り組む機会を頂き、宗像市のさつき松原の整備や福津市の福間駅東開発事業、台風による宇美川の氾濫への対策や新宮町の沖田地区の開発等々、それぞれの地域の政策的課題に携わってきました。
その経験を財産としながら現在福津市に居を構え、地域にとっても“即戦力”として政治の実践に渾身の努力をしていきます。
Movie随時更新 ミヤウチューブ
NetIB-NEWSより2023年の年頭にインタビューを受けました。
私の今年の抱負を中心にお答えしました。
今年もより一層福岡4区の発展に力を尽くしてまいります。ご覧ください。