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宮内ひでき

職業
国会議員
所属
衆議院
選出
福岡県
宮内ひでき

ブログ

ミャンマー、タイの視察をしてきました

7月23日より、4年ぶりにミャンマーを訪問し、日本の社会インフラを中心とする支援事業の現状を視察して参りました。

 

以前訪ねた際は、事業をスタートする直前で、まさに何もない状態でしたヤンゴン南部のティラワ地区の「SEZ(工業団地プロジェクト)」と隣接する「ティラワ港」の整備が、現在どのくらい進んでいるのかが興味深く、この目で確
かめてみたいと思ったのが訪問の動機でありました。

 

1本道を抜けると劇的な変化が

ヤンゴン空港からティラワまでは抜け道のない一本道で、4年前にも増して大渋滞でありました。

 

2時間以上かけ到着したSEZは、すでにその広大な土地に多くの工場が立地され、造成された88区画の内79社は契約をし、味の素やワコールやスズキ等多くの日本の企業がここで操業を開始していました。(内、日本の企業は45社)私は驚きとともに、この変化の実態に「多くの関係者の汗と努力と信念により、力強くそしてスピーディーに進めて来られたんだろう」と感動さえ覚えました。

 

ミャンマーの発展に欠かせない日本の力を実感

これらの企業は、この工業団地で製品をつくり、第3国へ輸出する企業が多いだろうと思われていたにも拘らず、その内の60%の企業は、ミャンマーの国内市場向けの実態になっているようであり、発展するミャンマー社会の今後の市場としての可能性に増々着目度が上がると思われます。

 

既に隣接地に、第2期の造成が始まっており、新しく8社の契約が決定しているようです。また、その工業団地からすぐそばに整備中の、ティラワ港も工事が終盤を迎えておりました。

 

この港は、日本のODAで建設中でありますが、来年早々には開港ということで、未来のミャンマーの発展に向けて、大きなエネルギーとなる両プロジェクトであると確信致しました。日本の国際貢献はまさに的を得たものであります。

 

また、30年以上も前から進出し、歯を食いしばって存続させながら、現地企業と組んで法人を設立し、鉄鋼製品をつくっているJFEの工場を訪ねて来ました。生産工程に、ミャンマー人を大勢使っての現場は、真面目な人材をしっかりトレーニングしながら作り上げてきたもので、まさに日本の技術や経験がミャンマー社会に根付いた力強いものとして、今後の成長・発展を予感させるものでありました。アジアにおける鉄鋼製品の供給拠点として展開することだろうと思います。

JFEでのミーティングと工場内
 

タイで奮闘するたくさんの日本人と日本企業

次に向かったのはタイであります。タイは15年ぶりの訪問でありますが、こちらも相変わらずの大渋滞であります。

チームジャパンの力で2016開業のメトロパープルライン
 

走っている車は、ほぼ日本製。在住日本人は約7万人。至るところに日本の企業や製品のカンバンが大きくそびえ立っているのが見えます。日本との友好国として親しみを強く感じるものがある国です。

 

ここでは、日本企業であります積水ハウスが、現地に大規模な工場を造り、タイの富裕層向けに販売を始めております。まさに新しく一から生産・販売を手掛けており、その現場工場を訪ね、販売しているモデルルームを見学させてもらい、関係者の熱意ある話をうかがって参りました。

 

日本の技術や素材を使い、見栄っ張りなタイ人の心をつかみ、新しい市場をつくるという試みは、充分、希望の持てものとして感じられ、3年後にはどれだけ展開しているか楽しみであります。必ずや成功してもらいたいと強く思いました。

積水ハウスでの会議風景とモデルルーム
 

ダイナミックな拠点港に驚嘆

また、タイの拠点港湾であり、タイの一番の物流港であります「レムチャバン港」も観て参りました。

 

ここでも日本の丸紅と上組によるターミナルにおける荷役運搬を行っているエリアもあり、ここでも日本企業が活躍しております。

 

まずは規模の大きさに驚かされました。新しい岸壁工事の計画も進められており、日本の全ての物流量の約半分がここ一ヶ所のキャパシティーであります。戦略的な物流拠点であるレムチャバン港はますます扱い量を増やしており、その周辺にも広大な土地がふんだんにあり生産拠点としてのタイの潜在力を感じました。

 

残念ながらタイは現在、政治が不安定で、軍事政権の下、具体的な政策が取りにくい状況でありますが、日本とタイは長期的に見ても、アジアの地理的優位な利点を活かして充分連携の上、戦略的なパートナーシップを深めることで、両国の繁栄が計ってゆける関係であると思いました。

レムチャバン港視察風景
 

日本の国際貢献の重要度を再確認した視察

日本は特にアジアに対して積極的なアプローチを進めてゆくことによる外交上、安全保障上、また経済活性化においても重要な柱政策であるということを痛感した、ミャンマー・タイでありました。

在タイ大使館の皆さんと

逆転勝利!!「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 全ての登録決定!

5月5日 予想外の報告

フィリピン出張中、宗像大社葦津宮司より国際電話が鳴り、
「世界遺産の件でイコモスの勧告に、沖ノ島は登録だけど大島・宗像大社・新原奴山古墳群は入ってないんだよ!たいへんなことだよ!逆転して登録しなければいかんのよ、代議士に力を貸してほしい!」といつもは冷静な宮司が興奮してかけてこられた。

 

私としてはこのような勧告が出るとは予想もしていなかったので、突然の電話に“事”の重要性とその対処策について一瞬想像出来ず、頭の中は真っ白になった。

 

帰国後早速、宗像大社でその日の昼食のハヤシライスを頂きながら打ち合わせを行った。何はともあれ地元福岡県、宗像市、福津市が連携し、政府にしっかり地元の考えを伝えて本気になってもらおうということになり、小川知事とも打ち合わせの上私から、菅官房長官、岸田外務大臣、松野文科大臣、麻生財務大臣にアポイントを取りみんなで陳情をすることになった。

 

5月19日 戦略を再検討

上京し、(松山、大家両参議にも同席してもらい)それぞれ大臣ご本人に会い直接お願いをすることが出来た。
四大臣とも地元の思いを理解してもらい、“政府は全力を挙げて全部の施設の登録を目指すから”(菅官房長官)との心強い返事をもらった。
すると早速私のところに外務省からは高橋室長、文化庁からは岡村課長と岡本室長が来てくれ、そもそも世界遺産登録の手続きや、ロビー活動の方向性や戦略についてレクチャーを受けた。

 

・どうして勧告の中で、8構成資産から4施設が外されたのかの分析
・そもそも、世界遺産会議での決定過程の中身の詳細
・成功事例である三保の松原の際の経緯 

 

等々、これから取組むに当たっての整理をすることによって我々地元関係者がやれるべきことを探った。

 

8つの全ての構成資産は切り離せないという一体性や継続性を理解してもらうための「ロジック」づくりには、地元関係者からも協力が出来るかもしれない。また、とにかく地元の熱意を示すことと、今後世界遺産として地元は守り続ける確固たる意志があることを伝えるのが最も重要なことだと感じた。

 

関係者の懸命なロビー活動

各国との交渉については、政府関係者が直接ロビー活動として根回しに奔走するわけであるが、その進み具合については逐一報告をもらった。高橋・岡本両氏の報告の際の顔つきは、日に日に緊張感が増し、そして自信を持ってきているように感じられた。

 

7月6日 現地に入る

7月6日、我々も現地ポーランドに入り会議を見守った。審議2日目、7日の終盤には日本のこの案件が取り扱われるのではないかと思われていたが、それぞれの案件についての議論が長引き、とうとうその日には審議されず次の日へと延期された。まさに水入りとなった。政府及び地元関係者も緊張感の連続で疲れがピークのようであったがそれぞれ眼はギラギラしていた。

 

7月8日 ついに審議に入る

とうとう本番となった8日は朝から大変いい天気であった。会議は前日の残りの2つの案件を処理したあと、‟「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 ” の審議に入った。21ヶ国の理事国の内13ヶ国から意見表明があり、次々発言があった。

 

逆転満塁ホームラン

息を飲んで聞いている我々の耳に入ってきたのは8構成資産の一体性に対する賛同の意見ばかりであった。全ての国から完璧に日本の修正申請に賛成する発言が相次ぎ、あっという間に議長から採択のハンマーが鳴らされた。

 

“逆転満塁ホームラン”の瞬間を観ているようであった。まさに歴史的な場面を目の当たりにした。早速、宮田文化庁長官を中心に地元の谷井宗像市長、原﨑福津市長、伊豆県議、葦津宮司とともに記者会見を行った。皆さん興奮と感激の表情で…。そして、それぞれ抱き合って喜んだ。

 

夜は関係者がそろって、ささやかに打上げ会を開いた。佐藤ユネスコ大使、宮田文化庁長官を中心に関わったほとんどの政府関係者、地元から駆けつけた全てのメンバーで乾杯をし、まさに勝利の美酒に皆で酔った。最終日の夜は最高のディナーとなった。


 

帰国後、早速関係大臣のところにお礼に伺ったが、皆さん大変喜んでくれた。こんな大満足で晴れやかな気持ちでご挨拶に行けるとは想像もしていなかったので、本当に“ツイてるな”と心から思った。

 

地元の想いが世界に通じた瞬間。そして今後も守り続ける。

今回の世界遺産登録への道は、約15年前に遡る。地元関係者の中から「目指そうじゃないか!」と言う声が湧き上がったもので、素直な思いから始まっている純粋性がその原点である。そして長い期間にわたって行政もブレずに貫き通した一貫性と、その下で地域住民の地道で献身的な努力があったからこそ、その願いが世界各国に方々の心に通じたのであろうと思う。

まさに関係者全ての人々の心に神が宿っていたと言えるのではないだろうか。皆がそれぞれの時代にそれぞれが出来る事を提供しあい、そして貢献しあって皆の総力戦でつかんだ世界遺産である。だからこそこの想いを今後大切に大切に育みそして伝え、遺産を守り、この地域の豊かな発展を作り上げなければならないと、改めて痛感している。私にとっては、素晴らしい経験であり、勉強であった。

 


 
クラクフの街並み

 

クラクフ市街地にて

 

インドネシア大使と

今年のゴールデンウィーク。フィリピンに出張(インフラ輸出について)致しました。

宮内秀樹 マレーシア視察2017.05

昨年国土交通大臣政務官を務めていた際に力を入れて取り組んだ政策の一つでありますインフラ事業の海外展開について、ゴールデンウィークを利用し5月2日~6日の間、安倍総理も友好関係を強く押しすすめておりますフィリピンに伺い具体的な案件についての視察をして参りました。

 

熱気と若さみなぎる発展の真っ只中

宮内秀樹 マレーシア視察2017.05フィリピンは人口約1億人(あくまでも推定でしょう)で、首都マニラのあるルソン島、セブ島、ミンダナオ島等多くの島々で構成され、昨年秋にはドゥテルテ新大統領が就任し政治は一定の安定感のもと、経済成長率6パーセント程度と言う勢いを持ち始めたアジアの発展途上国であります。

 

宮内秀樹 マレーシア視察2017.05マニラ都心部には国民の平均年齢23歳と言う若い人が溢れ、朝から深夜まで想像を絶する程の交通渋滞であります。交通機関はまだまだ本当に未熟で「ジープシー」と呼ばれるどこでも自由に停車出来る小型バスが多く走り、大型市内バスは乗客が乗りきれないような状態で運行しています。

 

まだまだ発展に追いついていない交通インフラ整備に対する日本への期待

鉄道は、国鉄が現在約15kmと、都市鉄道1号線2号線3号線がありますが、都市生活に効果的に機能していないようで、これから日本のODA事業によってこの都市鉄道の延伸や国鉄バタン駅との連結を進める計画があり、鉄道1号線(時速20km/h程度)に乗車するなどさせてもらい、まさにその現場を視察すると同時に、ライトレールマニラのシン総裁と会談させていただきました。

 

宮内秀樹 マレーシア視察2017.05シン総裁からは日本の技術協力や、交通政策のアイデアについて大変な期待が表明され、強力なサポート要請を受けました。シン総裁は前道路交通大臣でもあり大変政策的に理解をされていましたが、日本とは随分事情が違う様で、実際の政策を具体的に落とし込むには政府内の利害の調整や財閥等との関係性から、悩み多い状況の様でした。フィリピンの今後の発展には必要不可欠な事案であると改めて痛感すると同時にこの事業の推進にバックアップしてゆきたいと思わされました。

 

島国フィリピン最大の貿易港を視察

宮内秀樹 マレーシア視察2017.05
次の日はマニラ港のフィリピン港湾庁を訪ね、以前サンティアゴ総裁が来日した際に相談を受けていた新しいマニラ港の整備計画について実際の港内の案内を頂き、大まかな計画についての説明を聞かせていただきました。物流エリアを拡張し、スラム街を一掃し道路アクセスと連結する等の方向性の話があり、このマニラ港のマスタープランの作成についての協力要請がありました。早速正式な要請を大使館経由で出してもらったら我国としても協力をしてゆきたいとのやり取りをさせて頂きました。

 

建築ラッシュの光景にみる今後の公共交通、物流システム整備の重要性

宮内秀樹 マレーシア視察2017.05
鉄道にしても港にしてもこの国にとっては重要度の高いプロジェクトであり、我国のインフラ技術の蓄積を是非提供したいし、まさに質の高い提案ができるよう国交省とともに取り組んでゆきたいと思います。

 

南国の国民は、明るく親しみやすい感じはしますが、あまり勤勉ではなかったり、あまり生活のルールを守らなかったり、あまり頑張り屋が多くないようで、みるみる急成長をするような予感は感じませんでしたが、新しい高層ビルが数多く建ち始めおり、ニュータウンやショッピングモールあちらこちらに出来ておりました。確実に発展過程にあるのは間違いなく、だからこそ公共交通や物流システムがまさに必要だと強く感じました。

 

それぞれの国はそれぞれの歴史を持ち、それぞれの事情の中で進化しようとしています。この国の親日感は今後の日本との関係性においても必ず良い物をもたらすと言う実感を持って帰国いたしました。

第6回日中韓物流大臣会合に出席

7月27日から3日間、石井国土交通大臣の代理として、第6回日中韓物流大臣会合に出席するため、中国の杭州と上海を訪れて参りました。
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集合写真
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インターコンチネンタル 抗州

 

3ヵ国連携の世界的物流戦略を議論

10年前から始まったこの大臣会合は、3カ国が連携してスムーズで効率的な物流環境をつくり出すことによって、それぞれの国の利便性が向上すると同時に世界の物流の30%を占める北東アジアの世界戦略にも資するようお互い努力しようと話し合いを重ねてきたものであります。

 

そして、今回の会議の共通認識として合意したことは、
———————-
① 3国間の物流のシームレス化を進めることによって各国間の貿易障壁をなくし現場におけるスムーズな物流環境をつくり出す。
② 環境にやさしい物流政策をすすめる。
③ NEAL-NETを活用することによる情報の共有化をすすめ、多くの港を情報ネットワークで繋ぐことにより、この地域の物流機能の強化を図る。※1
であります。
———————-
※1:ニールネット・・・インターネットを通じて日中韓の海上コンテナ関連情報をリアルタイムで把握できる物流情報共有システム。

 

主に上記の項目を具体的な施策を連携して講じてゆくことを確認し、サインをし、共同署名を行いました。

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共同署名

 

私にとりましては初めての大臣会合という事もあり少々は緊張もしましたが、日本の国益のためという信念で発言させて頂き、中国・韓国の2人の大臣とも親しく人間関係を築くことが出来たと思います。貴重な経験でありましたが、今後は事務方の継続した努力を、しっかりやってもらい実質的な効果をあげてもらいたいと考えております。

 

上海で体感した中国の圧倒的パワーと潜在力

また3日目は、杭州から上海まで高速鉄道に乗り移動し、上海の新都心の中心に日本の森ビルが建設した約500mの高層ビル「上海環球金融中心」を見学し、午後には世界最大規模の上海港も視察してきました。いずれもそのスケールの大きさに度肝を抜かれてしまいました。

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上海環球金融中心(左・492m)と上海中心(右・632m)
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上海環球金融中心展望台
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上海洋山港

 

想像を絶する規模と莫大な人口に改めてこの国のパワーを痛感し、今後益々中国との戦略的な付き合いの重要性を考えさせられました。

 

特に経済という観点からは、我が国の貿易相手国としても2番目であり、訪日中国人の著しい急増や、上海だけでも邦人企業は1万社を超えるという現実に対し、もっともっと中国という市場については可能性を追求してゆかなければいけないのではないかと思いました。

 

現在、日本人の対中国に対する感情は決して良いものではなく、むしろ違和感は増していると思います。特に中国政府の身勝手な言動に対しては腹立たしく思うことは多々あります。一方で、一般の中国人の日本に対する感情は近年特に良好で、日本に訪日した人々のほとんどは日本が好きになり、もう一度日本に行きたいと言っています。

 

まさに国民レベルでお互いの国の現実を確認し合うことによって、もっともっと友好関係が深まり、日本にとっても中国とのビジネスの為の人間関係のネットワークの更なる構築等、我が国の利益をもっともっと見出せるチャンスがまだまだあるのではないかと思います。

 

変わりゆく中国を見つめる冷静な視点と正確な現状把握の必要性

今回の訪中の中で、中国国内でも世界のスタンダードに合わせようとする努力や、粛清による社会の公正化への取組の効果を垣間見ることがありました。

 

リアル中国、まさに現在の現実の中国を正確に冷静に把握することを我々はもう少し強く意識して考えてゆかないといけないのではないか。「舐めていては足元をすくわれるぞ」という危機感を率直に感じたわけであります。

 

例えば高速鉄道のホームでは、整然と2列で並んで待っており、降りた人を待って乗り込むような光景はもう普通でありますし、街にはボランティアグループがG20の準備を共同でやっている姿もあちこちにありました。
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杭州東駅ホーム

 

もっとも、これらのことで中国全体が健全に変化していると言うつもりはありませんが、その方向性、つまり世界標準の価値観を追求しようとしているようには思ったわけであります。そういう意味においては、今回の視察は私にとっては強い刺激となりました。これからも隣国へはたびたび訪れ、正しい時代認識が出来るように努力する必要性を感じた有意義なものでありました。

ベトナム・カンボジア出張

目覚ましい発展をとげる東南アジアの国づくりに、日本が果たせる貢献を提案する旅

6月14日から18日にかけて国土交通大臣政務官として、ベトナム・カンボジアへ出張に行って参りました。

 

主な目的は両国へのインフラを中心とした国際貢献のためのプロジェクト視察や、両国の担当大臣等とのバイ会談であります。また、現地で頑張っている邦人企業の関係者との懇談もたくさん行ってきました。

 

両国とも極めて親日的であり、日本に対する大きい期待感を持って熱い眼差しでの多くの要望を頂きました。それぞれまだ発展途上でありますが、両国は現在急成長中(両国ともGDPの成長率は約7%)で、平均年齢が若く、人口が急増中であり、まさにこれからという基礎的な国づくりのお手伝いを期待しているという感じでありました。

 

日本がベトナム・カンボジアのためにできること、日本であることのメリットを伝える

私からは、日本の提案の特徴は

 

①高い技術に裏打ちされた質の高いものであること

②親切であくまでも相手国のためを思った誠実なものであること

③アフターケア等長い視点で運営や管理を含めた考えを持ったものであること

 
等、他の国々とは違って良質なものであること等を改めて説明するとともに、それらのことを両国にしっかりと訴えピーアールを行いました。

 

私にとって2回目のベトナム訪問。現地で驚嘆した発展のダイナミクス

12年ほど前にハノイに行き、国会等の見学をしたことがありました。その時はまだ古い空港で電力事情があまり良くなく、道路は舗装されてなく、農地では牛が農機具という日本の戦前を連想させるような感じでありました。“正直まだまだだなぁ”と率直に思った記憶でありました。

 

しかし、今回まさにびっくり仰天でした。

 

大きな新空港に降り立つと、立派な片幅4車線の高規格な道路で市内までつながっていました。途中には日本のODAで建設されたニャッタン橋がそびえ立ち、相変わらずたくさんのバイクでありますが、トヨタのレクサス等、高級な自動車がバンバン走っておりました。

 

「10年余りでこんなに社会は発展、進化するものか」と言葉が出なくなるほど、驚愕でありました。社会が成長することは率直に本当に素晴らしいものだと感じました。

 

アジアの国々への積極的な支援が、日本のためにもなることを再認識

発展過程にある国は、経済の発展を追いかけながら国の基本的なルールや未整備のあらゆる制度を新たに作らなければなりません。お金も調達しなければいけませんし、法律を作りながら政治の安定を図らなければなりません。

 

日本は、特にアジアの国々に先進国として我が国が蓄積してきた経験を活かし、ハード面とソフト面の両方から出来る限りの支援を積極的にすべきだと考えます。今回の出張は、信頼できる友好国として多くの同盟国との関係を深めてゆくことは、安全保障の面においても経済的にも本当に大切であるという認識を改めて感じた貴重な経験となりました。

 

今回の行程を写真で紹介します

■ベトナムのドン交通運輸省副大臣とのバイ会談(6月14日)
1ベトナムの首都ハノイに到着後、早速ドン交通運輸省副大臣とのバイ会談にのぞみ、南北高速鉄道プロジェクト(ハノイ・ホーチミン間・約1600km)を中心に、インフラ整備の協力について議論しました。

 

■フォン・ホーチミン市人民委員長とのバイ会談(6月16日)
23ハノイからベトナム最大の都市ホーチミン市に移動し、市トップのフォン人民委員長とのバイ会談を行いました。日本企業が協力している地下鉄建設や地下街開発を中心に意見交換しました。

 

■ビンズン省ナム党書記長とのバイ会談(6月16日)
45ホーチミンの北部に位置し、工業団地として急成長しているビンズン省を訪問し、省トップのナム党書記長とバイ会談を行いました。日本企業も約300社進出しており、新しい住宅団地の建設や下水道建設での貢献のあり方について、昼食をはさみながら意見交換しました。

 

■ハノイの現地視察
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日本のODAで昨年1月に開通したニャッタン橋(日越友好橋)により、空港とハノイ市内の所要時間が、完成前より30分以上短縮されました。
789ハノイの高層ビルの展望台から市内を眺めると、いたる所で超高層ビルが建設されていることが分かります。一方、市街地を歩いてみるとバイクが所狭しと行き交っており、道を渡るのも命がけでした。

 

■ホーチミンの現地視察
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11ホーチミンでは、日本企業が協力する地下鉄建設や地下街予定地を視察しました。このまま事故ゼロで完成させてもらいたいと思います。来月には高島屋がオープンし、将来的には地下街と直結するとのことでした。

 

■カンボジアの3大臣とバイ会談(6月17日)
121314最終日の午後は、カンボジアのスン・チャントール公共事業運輸大臣、チア・ソパラ国土整備・都市化・建設大臣、イット・ソムヘーン労働職業訓練大臣と相次いで会談しました。メコン地域の物流ネットワーク構築のためのインフラ整備、土地の登記制度の確立、急増する自動車の整備士の養成など、日本が貢献できる分野をPRしてまいりました。

 

■カンボジアの現地視察
1516首都プノンペンにて、スラム街を視察しました。ここは、もともと公務員住宅であったのが、内戦後の混乱に乗じて様々な人が住むようになった場所であるとのことです。粗雑な増改築や老朽化などで大変危険な状況ですので、住人の居住権に配慮しつつ、建て替えを進めていくことが必要です。

 

1718日本のODAで昨年4月に開通したつばさ橋により、これまで船で行き来していたメコン河を自動車で渡れるようになりました。しかし国道においても、未舗装で土ぼこりが舞ったり、雨で冠水するなど、まだまだ道路事情は劣悪です。

Movie随時更新 ミヤウチューブ

NetIB-NEWSより2023年の年頭にインタビューを受けました。

私の今年の抱負を中心にお答えしました。

今年もより一層福岡4区の発展に力を尽くしてまいります。ご覧ください。

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